こむぎ生活(虹の橋へ)
2020年01月12日、こむぎが虹の橋に旅立ち月命日を迎えました。
今日のおやつは大好きだったクリームたい焼き。
2018年9月に余命1~2ヵ月と宣告を受けてから少量の心臓の薬と利尿剤の服用を続けてきたお陰で、肺に水が溜まる呼吸の苦しさも抑えられ、食事や散歩もできていましたが、徐々に食事も受け付けなくなり、夜になると調子が悪くなる様子で、倒れては起き上がりを繰り返し、続けて眠ることも出来なくなっていきました。
こむぎが横になって眠ってくれたのは、旅立ちの二日前、2019年12月10日まででした。
その後二日間は完全に不眠となり横になる事も、眠ることも無くなりました。周期的に肺に溜まっているのであろう水の音が聴こえる苦しそうな呼吸をするようになり、何度も水を飲んでは嘔吐を繰り返し。発作的に立ち上がってトイレを探し、壁に身体をぶつけながら歩き回り、失禁を繰り返すようになりました。
こむぎ虹の橋へ🌈
2019年12月12日 14:30
東京に連れて戻る前に、乳がんの転移を診断した医師から、こむぎに残された選択肢は安楽死しか残されていないと告げられていました。
そして今、眠ることもできず、食べることもできず、数日前まで下痢に苦しんでいても決まった場所でしかトイレをしなかったきれい好きなこむぎが失禁を繰り返し、それを気にしているのか、私たちのいる部屋から離れ、よろよろとしながら冷たい玄関に行こうとする姿を見て、もうこれ以上こむぎを苦しめたくない。ゆっくり眠らせてあげたいと、かかりつけの動物病院に連れて行きました。
病院に行くと先生から、「よくここまで頑張ったね。本当に偉かったね。薬を入れるための注射針を足に取り付けるからこむぎちゃんを支えていてください。」と言われ、私はこむぎの首を左腕で抱き、右手で注射針を通す左足を支え、みかくまはこむぎの下半身を抱いて支えました。
先生はバリカンで左足の毛を刈り、静脈に薬を入れるための注射針を入れました。
こむぎは静かにそれを受け入れていました。
2019年12月12日 15:00
左足に注射針を刺し終え「薬を用意するから、そのまま支えていてください。」と先生がその場を離れたとき、
こむぎは小さな声で「ワン」と鳴きました。
それがこむぎの最期の言葉でした。
そのまま私とみかくまの腕の中で、こむぎは静かに息を引き取りました。薬を使うこともなく。
こむぎは気力も体力も限界を超えた中、
苦しみながらも、傍にいる私たちのために
一生懸命生きてくれていたのだと思いました😢
本当に最期までたくさんの癒しをありがとう。
全然眠れなかったからしんどかったね。ゆっくり、ゆっくり休んでな。
美味しいものをたくさん食べて、虹の橋のふもとで待っててね。
また逢える日まで🌈
とどけ虹の橋へ
こむぎが来たよ!
2019年12月19日 06:00
こむぎの初七日忌が終わった翌朝、母親からすごい勢いで電話がありました。
「今朝こむぎが来たよ!」
「ちょっと濡れてて寒そうだったから拭いて温めてあげたら気持ちよさそうにしてたよ!」
「お腹空いてるみたいだったから、お肉を焼いてあげたら美味しそうに食べてたよ!」
こむぎは岐阜に居た頃ついて回っていた父親の夢にはよく訪れているようですが、
毎日美味しいご飯を作ってくれていた母親の夢には、勿体ぶってなかなか訪れてくれなかったようです😅
みんな会いたがっているから、ちょくちょく遊びに行ってやってな😉
お母さんのうたごえ
2020年01月03日
こむぎの余命が僅かであると宣告を受け、東京に連れて戻ってから作り始めたのが柴田淳さんの「椿」という曲です。
張った声を持たないみかくまが苦戦するタイプの曲ですが、こむぎに贈る曲として心を込めて歌ってくれました。
みかくまの得意なファルセットの上にある空気感と余韻を表現するため、ヴォーカルは音量を少し大きめにミックスしています。
ヴォーカルの録音はたいてい7回ほど録ると本人も納得したものができますが、今回は7回録ってもこむぎへの想いが強すぎるためかなかなか思うように録れず、気になる点がいくつか残る結果になりました。みかくまのレベルで気になる点を解決しようと録音回数を増やしても、技巧に走る結果となり一番魅力的な歌声に乗る空気感が失われていく事が多いです。
今回はこむぎに向け、モニターしていて一番空気感を感じたテイクを選んでミックスしました。
因みにオケは二ヵ月ほど(2019/11/5)にほぼ形になりましたが、私自身が納得できてミックスに使用したものは2019/12/21版です。お父さんも頑張りましたからね😤
虹の橋にいるこむぎへ。
こむぎが生まれてから
ずっと傍で聴いてくれていた
お母さんのうたを贈ります。
これを聴いて待っててね。
また逢える日まで。
みかくま🐻